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ミヤモト繊維株式会社はジーンズをはじめ、全てのファションのOEM生産を専門とする工場です。

ミヤモト繊維株式会社

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 50'S '50年代に、ブルーデニムのリベットを打ったパンツがジーンズという名前になった。   

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eading world Fashion
    ジーンズの歴史  HISTORY OF JEANS
 
その歴史はオーバーオールから始まる

ジーンズ誕生の真偽を問う
 いろんな雑誌でジーンズがとりあげられるたびに、501とゴールドラッシュの時代の炭鉱天…という話が書かれているのは、すでにご承知のはず。
もうこれは常識といっていいくらいよく登場する逸話だ。したがって取りたてて
「ジーンズの起源は云々」みたいなことをいうつもりはない。それよりも本書では
こうした史実が本当かどうかに焦点をあてて考えてみたい。
要するに、ジーンズの起源は逸話のとおりかどうか、ということである。
 そもそも、リーバイスは1850年以来ジーンズをつくり続けている」といっている。
もちろんこれにケチをつけるつもりは毛頭ない。
しかし、当の創業者リーバイ・ストラウスは1853314日にサンフランシスコに上陸しているという記録が、エド.クレイ著の『ブルージーンズの伝説』の中に記載されている。創業者がまだサンスランシスコを訪れていない1850年にジーンズが生まてれているのはおかしい。
 さて、ジーンズの礎をつくったのがリーバイ・ストラウスだと伝えられている伝説は
実のところ大きな事実を見逃していることに注目してほしい。つまり、彼は織物商の
経営者であって、リベットを打ち付けたパンツの発案者ではないということだ。
 これも有名な話だが、ご存じない方のために説明すると、キャンバス生地の作業ズボンに金具の鋲を打ち付けたのはヤコブ・デイビスという男で、1870年代のはじめには、すでにその鋲付きズボンを販売していた。彼はそのズボンのユニークな発案が他社に侵害されるのに苦慮して、実業家であるリーバイのところに特許取得の依頼と、それの代償として販売権の譲渡という話を持ちかけたために、リーバイの会社でそのズボンを売るようになったのである。
 もしかしたら、リーバイ・ストラウスはこのリベット付きの作業ズボンなど、先ざき
海のものとも山のものともわからない商品で、まあ自分の事業のほんの一部にしておいて儲かれば儲かったでラッキーだぐらいにしか思ってなかったのかもしれない。
それぐらい彼はすでに織物商を母体にした事業(不動産投資など)で成功をおさめていたのである。

ゴールド・ラッシュの後に誕生
 さて、ゴールドラッシュがジーンズを生み出した、という定説についての疑問をいくつかあげてみよう。
まず、ヤコブ・デイビスがリベットをキャンパスのパンツに打ち付けたのは1870年代のはじめ。ゴールドラッシュは1849年にはじまっている。いくら埋蔵量が多かったといっても、金坑採掘は乱掘されて20年も続いてはいない。
リベット付きのパンツがリーバイの会社から発売されるとっくの昔にゴールドラッシュは終わっていたはずだ。サンフランシスコ自体は、確かにゴールドラッシュで生まれたブームタウン(にわか景気で出没する新しい街)であったが、ゴールドラッシュ以後は即座に新しい街へと様変わりしていった。
リーバイの織物商で売られたリベット付きの作業ズボンは、サンフランシスコがそんな一時の熱狂的なワイルド・ウエストと呼ばれた時代を通り過ぎた後に誕生しているわけだ。だから、リーバイのパンツをはいたのは、港湾労働者(サンフランシスコの労働者の大半を占める)や山間部に住んでいた木こりたちというのが妥当なセンであるといえるのではないだろうか。

それはジーンズではなかった
 リーバイ・ストラウスではなく、ヤコブ・デイビスがつくり、ゴールドラッシュの金坑夫がはいたのではないリーバイ織物商会のリベット付きパンツは、現在でもレプリカされてリーバイスの資料館に保存されている。
しかしこれがジーンズか、と思うほど現在のジーンズとは様相が違う。ステッチやリベットの基本的な位置などは同じなのだが、そのシルエットといい、仕立ての仕方といい、
まさしく作業ズボンのそれだ。生地だって赤褐色のキャンパス(文字どおり幌馬車の帆布) でつくられていて、普通のズボンの上からはけるような太さはまるでワークパンツだ。
 リーバイスでは1950年代までこのパンツを、腰丈のオーバーオールと呼んでいたそうだ。したがって、リーバイスがジーンズなるものをつくったのはずっと後のことで、むしろジーンズのカタチのもとになったオーバーオールを売っていたというのが、適切ないいかただろう。人々がジーンズと呼ぶパンツはまだカタチを整えていなかったようだ。



ジーンズは50'S(注1)に生まれたといってもいい
いつしかジーンズと呼ばれる
 オーバーオールが、ジーンズとしてのカタチを整えるのは、どうやら1930年代というのが適当といえよう。というのも'30年代の末期になって、501にベルトループがつけられたからだ。それまでのサスペンダーで吊るスタイルのズボンは、オーバーオールと呼ぶほうが自然であった。しかしリーバイスはベルトループがついたにもかかわらず、名称をジーンズとすることがなかった。また、1924年に発売されたリー・ライダースも、ジーンズとは呼ばずに、カウボーイ・パンツと呼んでいたから、この時代に登場したデニムのパンツにはジーンズという考え方はまだなかったと推定される。
 とはいえ、'30年代にはリーバイスもリーも牧場労働者の間では労働着でありながら、ファッションとしてもしだいにはかれるようになった。「モンタナの牧場経営者たちが、安いズボンよりも、むしろこのリーバイ・ストラウスの501を成功のしるしとしてはいていた 」(『ブルージーンズ伝説』より)ようにこの時代から、労働以外でブルーデニムのパンツをはいたことは注目すべき事実である。
ちなみに、リーバイのオーバーオールにリーバイス(リーバイのもの)という愛称がついたのはやはりこの時代である。

50'Sこそがジーンズの出発点
 戦争が大勝利で終わると、アメリカは怒涛のごとく均一を社会をつくりはじめた。
ハンバーガーのチューン、モーテルやホテルのチェーン、TV広告による大量生産品の販売など、アメリカじゆうどこへ行っても同じものが食べられ、同じものが使える時代が到来した。そんな中でオーバーオールもいよいよ牧場労働者や西海岸地方だけではかれるファッションではなくなってきた。そうなってゆく背景には映画やTVの影響が大きかった。西部劇映画、TVのアクションドラマ、といった家庭娯楽の中で日常着としてのとらえ方が台頭してきたのだ。
 1955年、リーバイスは、はじめてオーバーオールのフラッシャータグ(紙ラベル)に
「アメリカズ・オリジナル・ジーンズ」というフレーズを刷り込んだのである。
それよりも早く、1947年にラングラーは「オーセンティック・ウエスタン・ジーンズ」と革のラベルに刻印している。そのことからわかるように、すでに'40年代後半にはジーンズという呼び名が、いわゆるリベットを打ち付けたブルーデニムパンツの、一般的な名称になっていたと考えられる。
リーバイスがジーンズと名のるのが'55年と遅かったのは、おそらく元祖としてのメンツであったと同時に、先述のようにアメリカの社会自体が変化し、全国的なレベルでものが売れる時代になったおかげで、一般的な名称に変えざるを待なかったという理由が考えられる。

老若男女すべてがジーンズ
   '50
年代に、ブルーデニムのリベットを打ったパンツがジーンズという名前になってからカタチや雰囲気もことごとく進化したといえる。進化のスピードを早めた原因は、やはりウエスタン・ファッションのブームにほかならない。加えて、大衆ブームもそれに拍車をかけた。全米中の人が読む『ライフ』誌、全米中の人が使う「クリネックス・ティシュー」、全米中の人が飲む「キャンベルスープ」。そのひとつにジーンズが選ばれてしまったのもその埋由のひとつだ。
したがって、ジーンズは大衆衣料の象徴のようなモノになり、誰にでも似合い、多くの人に支持されるはきやすいものに性格が変わっていかなければならなかった。
そこで、労働着的な雰囲気のあるバック・ストラップや危険なリベットなどが取り払われて、今日のシンプルなデザインができ上がってきた。それに当時の大衆衣料化の波を受けるカタチでジーンズのサイズ・バリエーションは細分化されて、子供のサイズだけでも痩せ型、普通型、ガヅシリ型といったものまで用意されたのである。
 また、ウエスタン・ブームによって、ジーンズにはさまざまなファヅション性が加味されたことも忘れてはならない。ロデオ競技にはけるようなマニアックなディテール、たとえば後ろ股上を深くしたり、ブーツ幅に裾を整えたりと、この時代に、明らかにいまでいうオーセンティックが確立されているのである。そして、そうした人気と人々の目が注がれていたため、品質やデザインなども全盛をきわめたといっても過言ではない。
古着の収集家やジーンズの愛好家がこの時代の製品にこだわっているのには、そうした理由があるからではないだろうか。
 1950年代末、デニムの不足がアメリカで起こり始めた。その頃、リーバイスは年間2千万着のジーンズを売っていた。デニムのズボンがジーンズと呼ばれはじめてまだ数年。
歴史は始まったはかりである。

ジェームス・ディーンは本当にリーバイス?



 

 いろんなメディアにジェームス・ディーンはジーンズの永遠のキャラクターと
して登場し、彼がはく〈リーバイス501〉というイメージは完全にできあがっ
ている。ところがである。王者リーバイスにいいがかりをつける気は毛頭ないけ
れど、マニアやジーンズフアンの情報によるとジェームス・ディーンがリーバイ
スをはいていたという証拠はどこにもない、というのだ。
 ことほどさよう、彼の生前の代表作である『理由なき反抗』にも『ジャイアンツ』
にもジーンズをカツコよくはいたジミーが登場しているのだが、そのヒップポケ
ットはなんと(リー)ではないか。そればかりか、彼のプライベートな部分を写真
に収めたいくつかの写真集にも、リーのジーンズをはいているものしか見当たら
ない。
 実際に映画出演時のスチール写真を集めてみたところ、やっぱりはいているジーンズ
はリーに間違いなかった。『理由なき反抗』のスチールでは後ろ向きにかまえ、赤い
スウィングトップを着たジミーのジーンズはリーの古いモデルで101のようだった。
『ジャイアンツ』でもジェット・リンク役で助演している彼が、キッチンでウィスキー
をひとロ飲むシーンがある。ここでもリーのジーンズということがよくわかるのだ。
 これまでジェームス・ディーンはリーバイスと思われていた、いわば“常識”は、
リーバイスが偉大であるために生じた、大きな誤解というのが真相らしい。しかし、
リーだったとは意外や意外である。


【アシェツト婦人画報社 メンズクラブ-ブックス 20 「ジーンズ」より引用

(注1) 50'S(フィフティーズ)とはアメリカが最も華やいでいた時代1950
     年代のことでゴールデンエイジ「黄金時代」といわれることもある。











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